洋服好きでしたが(1)
私が高校生の頃、雑誌ポパイが創刊。(今もありますね。)朝日新聞に”ヌードが載っていない初めての男性誌”

との記事でした。御小遣いは、全てスニーカーに使う“コレクター”に。

ナイキのワッフルトレーナーやエリート、アデイダスのタバコ(名前で、茶色のオールスエードだった)、

SL72やSL76など今持っていれば、凄いプレミアがつくのばかり。

(ちなみに初期のナイキは福岡県久留米市の”月星”製。

メイドイン ジャパンとムーンスターの文字がベロに書いてある・・・

さらに初期のパタゴニアは四国で作られていた。随分前は、日本も労働力が安かったのだろうな。)
大学に入ったころ、アメリカの物を扱うセレクトショップができ、洋服に目覚めます。
ブルックスブラザースのボタンダウンシャツは当時13800円もしました。

消費税も無い頃です。現在では9800円くらい?
ですから、ベラボーに高かった。おまけにサイズが合わず、私の腕が短いのか、袖丈が異常に長かった。

当時は、”フレッピー”と呼ばれる アメリカ東部の名門大学生のアイビー(ベース)ばんからスタイルが 

流行りでしたので、セロやギットマンやインディビジュアライズシャツのシャツや

リーバイスの501ジーンズ、フランスのラコステのポロシャツなどバイトして、

買いまくってました。ブリティシュカーキのチノパンツや

トップサイダーのデッキモカシンやデッキシューズなどなど・・
高品質な普通の服とヨットやポロ、ハンティングなどの今で言うと”セレブ”な感じの物を

ラフに着る感じでしょうか、B・Dシャツの下にポロシャツ着てましたもの。(失笑)
なかでも、ジーンズのリーバイスのコマーシャルは凄かった。

ノーブラのグラマーお姉さんが、白いTシャツ着てて赤のリーバスロゴ
ロックスターみたいなのが大声で リバース!!て叫んでる。これは、買いに行かなくちゃ~
だから暫らくは、本気でリバースと思ってた。(笑)これが私の、洋服好きになるルーツですが、

ほとんどが今も、ほぼ同じものが買える。(現在の方が安い)

普遍的な物でもあるわけでこのころの私の考えは、服も靴も海外の物こそ優れている。と考えてました。
これは今では、変わってますが・・・
マウンテンパーカーの元祖とゆうか先祖とゆうか P&Oのコットンパーカーや

マッキントッシュのゴム引きコートやインバティアのダッフルコートなどなど

超高級ブランドの工場物(仕様や形は 少し違ったりする)との意味で

”ファクトリー”もの にハマっていきます。

靴で言うとパラブーツのチロリアンシューズとか(エルメスのファクトリー)・・
グレンソンのストレートチップやトリッカーズのウイングチップ、

オールデンのコードバンローファー、Vチップ, JMウエストンのローファーなど

デフレで不況の今では、考えられないほどの散財ぶり、まさに、気が狂ったかのよう。
昼はベスト電器でオーディオ販売のバイトで夜は中華カフェレストランでのバイトと 

その全てを洋服につぎ込む狂った大学時代でしたが、

学ぶことも多かった(高い授業料ですが・・・) つづく